日本とオーストラリアの狭間で

昭和生まれ奇想天外な私のこれまでの歩み。社会脱落者としてこれからどうする?40歳目前独女の独り言。

回想: 私と英語 4 (最新回)

そこから数年、私は色々な経緯があって豪州の地元の人たちに囲まれて生活するようになる。それまで学校の先生で豪州英語のネイティブは沢山いたけどやっぱり授業なのでそれなりにわかりやすく話してくれていたし、その他の知り合いや友人はほぼ他国からの留学生や移民ばかりだったのでネイティブ同士が日常話す英語にはあまり触れたことがなかった。私は留学生の中ではそれほど自分の英語がものすごく劣っているとは感じなかったけど、ネイティブとの開きは相当なもので英語を話すのすら恥ずかしくなるくらいだった。一対一ではなんとか会話は続くけど、グループになるとまるで何を言っているのかわからず押し黙ることが多かった。(元々日本語でもグループの会話は苦手。)これがいわゆる英語学習者とネイティブの壁なのだ。

豪州で日常的に使われるスラングや言い回しもこの生活の中で一つ一つ覚えていった。ある程度時間が経つと同じネイティブでもアクセントは様々で、イギリス英語よりの人や、アメリカ英語っぽい人、また豪州訛りの強い人などみんな違う事に気づく。当然私が聞き取りやすい人やそうでない人もいてとても苦労した。

もう一つ、私が豪州で乗り越えなければいけなかったのが職場で使う英語だった。私の場合は比較的専門職なので使う英語は限られて来るけど、私以外全員ネイティブという職場環境で、私はあいつは英語がわからないとか陰口を言われたりもした。相手は私がそれを聞いても理解していないと思っていたようだったけど、流石にそのくらいはわかる。上司や身近な同僚にはとても親切にしてもらっていたけど、それでもやはり始めの頃は英語で躓く事も多かった。もう一つの難関は特に男性のネイティブの書くメモでこれがほぼ読めるようになるのは年単位の時間がかかったように思う。私にはまだまだ英語力が足りないと痛感する日々だった。

私が4年半の留学後一旦帰国をした時は、すっかり豪州英語になっていたらしく今度はアメリカ人の知り合い達に私の英語が訛っているとからかわれていた。その後数年日本にいて、豪州人よりアメリカ人の知り合い達と話す事が多く私に英語のアクセントは徐々にニュートラルな感じになっていく。ただ比較的訛りの強い豪州人と電話で話した直後にアメリカ人の友人と電話で話すと、今まで豪州人と話してたでしょ?と私の話すアクセントを聞いて見破られるなんて事もあった。

現在私の英語は停滞、もしくは低迷している。勉強もしていないので当然なのだけど、問題は今の英語のレベルでも何とかネイティブの中でも生活出来てしまう事にある。留学当時は豪州で生き抜く為に英語が不可欠という理由で一生懸命勉強したけど、今は努力するのをやめてしまったので当然の結果である。恥ずかしい話これだけ豪州にいて今の英語のレベルはCERFで言うとB2に近いC1といった感じで正直こんな中途半端なレベルじゃどうしようもないなぁと言うところである。

ここまでかなり長く私と英語の関係について振り返ってみたけど、小学校5年生で始めて英会話教室に通い始めて約四半世紀、私は何かしらの形で英語に触れてきた。こうして書き出すと楽しい時期も辛かった時期も色々あったなぁと思う。これからCERFのC2レベルを目指すのか英語ときっぱり縁を切るのかわからないけど、私は英語を勉強して良かったと思う。

これで私と英語の回想はひとまずお終いです。