日本とオーストラリアの狭間で

昭和生まれ奇想天外な私のこれまでの歩み。社会脱落者としてこれからどうする?40歳目前独女の独り言。

My past

回想: 私と英語 4 (最新回)

そこから数年、私は色々な経緯があって豪州の地元の人たちに囲まれて生活するようになる。それまで学校の先生で豪州英語のネイティブは沢山いたけどやっぱり授業なのでそれなりにわかりやすく話してくれていたし、その他の知り合いや友人はほぼ他国からの留…

回想: 私と英語 3

前回の続きです。 オーストラリア(豪州)に着くとすぐ日本の斡旋業者の送迎でホームステイ先に行った。始めて話すホストマザーの英語は豪州英語のアクセントやイギリス英語系の表現のせいで簡単な会話でも理解するのに数秒かかる。かろうじて聞き取れてはいる…

回想: 私と英語 2

前回の続きです。 私が短大の英語研修旅行で100%英語ネイティブ環境に置かれてもストレスを感じなかったのには理由があった。(私が英語が出来たからと言う訳ではない。)その理由こそ私が留学を決意するきっかけである。 高校卒業の少し前くらいからある米軍…

回想: 生い立ち

子供時代から短大卒業まで。 昭和の時代全盛期、ある家庭で一人っ子として育つ。家は比較的貧しく、父親は大酒飲みで酒乱だった。毎晩酒を飲み酔っ払い、罵声を浴びせられ、暴力を受ける。母親は普通の人だったけど、私が小学校から中学校まで学校で陰湿ない…