日本とオーストラリアの狭間で

昭和生まれ奇想天外な私のこれまでの歩み。社会脱落者としてこれからどうする?40歳目前独女の独り言。

私が豪州にいる意味

最近豪州人にずっとこの国に住みたいかと聞かれた事が何回かあった。その度に返答に困っていた。側から見ればダメ元とは言え大金をかけて永住権の申請をしているのだから、私は豪州が気に入っているように見えるのだろう。この国には豪州の生活や環境に希望を求めてやってくる外国人の移民が大勢いてそういう人は自国と比べて生活や教育水準が高く比較的のんびりした生活を送れる豪州を高く評価する。永住後に親や親戚などを自国から呼び寄せるというケースも少なくない。

 


私は豪州が好きかという質問には嫌いじゃないと答える。地元生まれの人の前では一応相手を落胆させないように肯定的な返答にしているが、正直今ではもうどうでも良くなっている。私は日本に帰国する度に日本に帰りたい思いが強くなる。豪州の生活の水準自体は世界的に見れば高く日本と然程変わらない。今のところ内戦などもなくどちらかと言えば平和で恵まれた環境である。でも豪州に計10年以上滞在してきて私はやっぱり自分には向かない国かもしれないと感じ始めている。かといって当然日本が私に向いている国であるとは言えないが、どうせどこかで我慢するなら自国で努力した方が断然良いと思うのである。

 


豪州は私を留学生として受け入れて、そして就職の機会も与えてくれた。外人である自分を一時的にも滞在させてくれ、様々な事を経験させてくれたのには本当に感謝している。でも豪州はあくまで良いホストの国であって私は永遠にゲストでしかない。私は日本では社会人失格で早々に社会から脱落し、国からはお前は要らない人材であるとそっぽを向かれてしまったような存在である。それでもやはり生まれ育った場所は自分の国で、私はゲストではなくその国の人間なのだ。もちろん豪州と日本を比べても意味ないのだけど、なぜ私が豪州に居続けるのか自分でも分からなくなる時がある。

 


それならなぜ直ぐにどうせ取れる訳のないビザ申請を取り下げて日本に帰らないのかという疑問が残る。正直何度も考えたし退職届けまで用意して会社と話し合いをしたのだからさっさと日本に帰れば良いと言われて当然だ。でもそれをいつも寸手のところで迷い躊躇するのには理由があった。

 


先日あるアフリカ系のある移民の人と話していた時に、やはり豪州には住みたいと思わないのかと聞かれた。返答に困っている私を見た(私が居候中の)家のホストの奥さんが私の代わりに「彼女は豪州の事は好きだけどそれは国自体が好きというよりここには彼女が大切にしている仕事とか人間関係とか生活があるからなのよ。」と答えてくれた。正にその通りである。別に豪州という国が云々というより私はこの国で持った繋がりが捨てきれないのだ。生活の基盤のある豪州を去るというのはこれまで豪州で築いてきた物を全て失うという事になる。それが私にはどうしても自ら決断しきれないのだ。

 


時々豪州になんて来なければ、今の仕事に就かなければ、この人たちに出会わなければ良かったのにと思う事がある。もしこれらがなければなにもこんな風に日本と豪州の間で悩む事もなかった。豪州に永住したいと思う人たちは沢山いるだろうしその為に沢山準備をしている。今となっては負け惜しみにしか聞こえないかもしれないが、もし私に豪州でこれらの繋がりがなかったら、私は永住なんてしたいとは思わないだろうし、その為に苦労や努力する気は一ミリも無い。

 


客観的に見て豪州は良い国だと思うし、なぜ日本人でも永住をしたいという人が多くいるのかはよくわかる。この国を終の住処にしたいと気持ちもわかるし永住権のために奔走している姿も応援したいとも思う。でも自分には向いていなかった。豪州に住み続けたいとは思っていない、でもそれでもこの国に居続けたいと思うのはここは自分にとって簡単に捨てきれない大事な物があるからだった。私があとどのくらいの期間豪州にいるかは全くわからない。でもその最後の日が来るまで、私が豪州で与えられた物に感謝して日々を過ごしたいと思う。

 

 

 

私と現在の職場との関係

私はパートの時期も入れると今の職場で働いてもう10年以上になる。色々問題もあるし何度も辞める辞めないで揉めまくってきた過去はあるが、それなりに縁があるのだと思う。今の職場で働くきっかけは教会に通い始めた頃当時ITマネージャーをしていた人と知り合い、ITサポートのバイトとして履歴書を出してみないかと提案された事だった。当時はまだ留学生として勉強している頃で、留学生の中でIT系のバイトを得られているのは本当に一握りだったと記憶している。最初の時給は$20。その頃は未経験者のバイトとしてはかなり良い時給だったと思う。

 

 

バイトとしての採用だったので面接はそのITマネージャーと人事と三人だった。私はこの人事の人とも知り合いだった為、面接というより雑談といった雰囲気だった。面接後採用か不採用かの結果はなかなか来なかった。これは後で知ったが、私の採用について始め会社は乗り気ではなかったのだ。駄目ならほかのバイトを探したいので早く返事が欲しいと人伝いで聞いてもらった。するとその数日後に週に15時間という契約でバイトが決まった。私が返事を待っている間には会社のトップManaging Director(MD)、人事、ITマネージャーとの間で話し合いが続いていていたそうだ。採用の理由はかなり後になって聞いたが、おそらく普通には理解し難いものだと思う。

 


私が仕事を始めて数週間後、初対面であるMDが私のところに挨拶にやってきた。その頃はプログラマーではなくITの雑用の手伝いをしていたのだが、MDと会話をする中で当時社内で誰も出来なかったホームページの更新もして欲しいと言われた。それから数ヶ月後にはITサポートの仕事よりホームページや注文システムの改善などの仕事を主にするようになっていった。これが私がプログラマーとしてこの会社で働くことになったきっかけである。このMDは現在ITマネージャーも兼任しており、要するに私の上司だが、この頃はそんな事は全く想像出来なかった。当時のITマネージャーは後に自分が採用した人をMDに完全に取られたと言うような事を言っていた。確かにその通りで彼が怒るのも無理はない。

 


その後私は突然の帰国をする事になる。本来なら学校卒業後にプログラマーとして本採用が決まっていたので会社にそのオファーを受けられなくなったと伝えた。その時のMDとの話の中でオンラインで日本から仕事をしないかと提案された。私は色々な事情があり帰国前にあまり仕事の事を考える余裕がなかったので、とりあえず数ヶ月だけその時やっていたプロジェクトが終わるまでという約束で日本から在宅という形で働く事になった。結果的には数ヶ月ではなく4年間日本から在宅で働いた。その間会社(特にMD)は私を豪州に戻せるようにと労働ビザの取得を目指していた。最初の労働ビザは半年間のみで、その期間の中で実際に私が豪州にいたのは(会社の都合で)たった6週間だった。次の労働ビザはその2年後くらいに降りてその時は1年半だったと思う。

 


2度目の労働ビザで豪州に渡った頃から、当時のITマネージャーとMDとの仕事上でのトラブルが増えていった。個人的に二人は友人関係にあり信頼も高かったが仕事の事になると水と油のように方向性が全く違う。私は基本的にはMDの指示の下でプログラマーとして仕事をしたが、ITマネージャーとMDの異なる指示の中でいつも翻弄された。ITマネージャー仕事上でMDと私と相性が良い事を気にしていた。MDも元々はITで働いていたので自分がいなくてもMDと私でITを回せるようになると危機感を抱いていたのだ。そのせいかどんなにMDに指示されても私に積極的に仕事を教える事を拒み続けていた。残念ながらその数年後に彼の不安は的中する。会社は人員整理の時にプログラミングの出来ないITマネージャーを解雇して私を残す決断をした。その時にMDがITマネージャーを兼任する事になった。

 


今となってはそんな事もあったねという美談だが当時は周囲も含めて外人の私を職場に残した事に異論や反論が多く、MDも私もそして人事も色々責められた。ただ会社としては絶対にプログラマーが必要でITマネージャーには(実際コースにも出たそうだが)そのスキルと素質がなく、彼を残す事は出来ないという明確な理由があった為それ以上の問題になる事はなかった。ちなみに当時のITマネージャーは現在トレーナーとしてこの会社に再就職して活躍していて、MDとや私との関係も良好である。

 


私は豪州に戻ってからというもの常にビザの問題があった。さらに私は半年に一度日本に帰国しなくてはならず、その費用も全て会社が出している。でも私としては無能な自分の為に会社がお金を使う事が無駄のように思えて申し訳なく何度も辞めようと思った。その後財務マネージャーとの揉め事や色々な事があり私は何度か辞表を出すも話し合いの中で最終的には引っ込めるという事が続いた。私が長く在籍してしまった分バイトの頃のように私が辞めたらすぐ次の人を採用すればそれで良いという訳にもいかず、私も今辞め方が会社に迷惑になるかなという気持ちもある。私を採用してしまった事、そして長年残してしまった事が会社の負担になってしまっている事に対して罪悪感を持っている。

 


現在の仕事の内容は全て上司(MD)からの指示されている。上司はIT管理全般と約半分くらいのシステムを管理している。そして私の関わっているソフト開発の構想や基本的デザインなどを決めて私はそれに従ってプログラムを書いている。基本的には一日中プログラムを書くのだがほかのITの仕事もある。例えばサーバーの日常的な管理、メインテナンスも行い電話システムの簡単な管理もする。何かIT系の問題があればそれも対応するし、PCの初期設定やトラブル解決も行う。また自分が過去に書いたシステムのエラー処理、ほかの社内のプロジェクトでITが必要な場合話し合いに参加したりもする。もちろん全て上司の管理下なので私に最終責任はないし、上司も私が出来ない部分などはすべてカバーしてくれているが、日々のIT業務は基本的に私が行なっている。ITに新人が採用された時は当然仕事を教えなくてはならないし、時には他の社員と上司との間を繋ぐ役目をするなんて事もある。本当にやる事は多岐に渡る。

 


私と上司との人間関係は客観的に見て上手くいっている方だと思う。会社のトップのMDではあるが基本的には言いたい事は言えるし、仕事の問題を相談する事も出来る。最終的に私はどんなに自分の考えと違っても上司の決定に従うが、一応私の意見も一通り聞いてくれる。ITミーティングは週に一度一時間程度でその中で確認事項やスケジュールなども話し合う。後のコミュニケーションはメールがほとんどで、それでもさほど問題はない。またこれだけ長く同じ上司の下で働いていると大体上司の言いそうな事は分かるので、もしかしてこれをやったらこれも頼んでくるかな?と思うと大抵次のメールでその指示がある具合だ。

 


そんな感じで私とこの会社との関係は長く、言うなればお互い腐れ縁になっている部分もあるのだろう。私は後どのくらいこの会社にいるかわからないが、せめて最期の一日までは自分の責任をきちんと果たしていこうと思っている。

私のつまらない日常 ー 豪州での日々

私の日常なんて書いても面白くもないし誰も興味もないだろけど、とりあえず私が豪州で普段どんな生活をしているかを書き出してみる。

始めに、私には豪州でも(日本でも)親しくしている友達等はいない。それは私が変わり者で人付き合いが出来ないからだ。たまにご飯に誘われても断る事の方が多いので、きっと周囲からはつまらない人だと思われていると思う。なので私の日常は孤独で変化のない日々が永遠に続いている感じである。

 


平日は毎日仕事に行く。車の免許も取れないので(というか今取得を考えた所で日本に帰国後は不必要となり無駄)普段はバス通勤をしている。家から徒歩15分ほどのバス停から朝5時半頃のバスに乗り、バスを降りてさらに15分ほど歩いて6時前後に職場に着く。ただ近所に同じ会社で働く人が住んでいるので、その人の車に乗せてもらうこともある。その時は家を7時半過ぎに出て8時前後に出勤する。

 


そこから一日働く。私の場合は朝何時から始業してもいつも早くても午後5時過ぎまでは仕事をしている。プログラマーなのでほぼオフィスでの個人作業がメインだ。時には一日中職場で誰とも話さないなんて事もある。休憩は適当で昼食も会社のキッチンではなく自分のオフィスで摂る。ちなみに私は何時間働いても固定給なので残業代等は一切もらっていない。言われた仕事が出来れば定時に帰れるが、仕事が遅い私は大抵長く働いている。長時間労働をしているのは自分の能力と意思の問題で、会社からの要求ではない為サービス残業ではないので不満はない。

 


仕事が終わると基本的には朝と同じルートでバスで家に帰る。たまに家が近い人や同じ方向に帰る上司などに送ってもらうこともあるが、普段はバスを使う。大体午後6時前後に家に着くのを目標に帰るようにしている。理由は私が滞在している家の夕食が早く6時から6時半くらいだからだ。もちろんそれより遅く帰っても構わないが、そうすると夕食の片付けも進まないしあまり頻繁に遅く帰ると働き過ぎでは?と聞かれるので、なるべくこの時間に帰っている。

 


私はもう何年も老夫婦宅にホームステイというか居候生活をしている。理由は色々とあるが、まぁ平たく言うと好意に甘え続けている訳だ。夕食後少しだけ一緒にテレビを見たりして、その後は雑用等を済ませて自室でネットを見たりダラダラして10時過ぎには就寝する。彼らともあまり話さない日もある。車のない私が夜に外出することは滅多にない。基本的にはこのパターンが週5日間永遠に繰り返されていく。

 


週末はと言うと、土曜日は朝家の掃除を手伝い、また洗濯など雑用をしてその後ショッピングセンターなどに買い物に出かける。土曜日の昼食はほぼ外食でコーヒーを飲んだりして夕方まで家に帰らない。帰宅後はDVDを見たりダラダラする。日曜は教会に行く。私はこんな捻くれた性格のくせに長年クリスチャンとして教会に通っている。教会は家から歩いて2-3分のところにある。午前礼拝に出て、大体1時過ぎに家に帰り昼食を食べ、午後は決まって近所のスーパーに行き、同じカフェでコーヒーをテイクアウトする。家で少しまったりした後は礼拝に行く事が多い。このように土日も既にルーティーンが決まっており多少のバリエーションはあるがこれが繰り返されている。

 


ちなみに教会では乳幼児の託児所的な所を手伝う。子供もいないそして普段子供と関わりのない私がなぜ?と思われることも多いが、この手伝いはもう3-4年続いている。その為教会に行っても礼拝室に座っている事は少なく子供部屋の準備や後片付けをしている。また月に二回、教会のセルグループというのに参加している。平日の夜の1-2時間誰かの家で集まり聖書を読むのだが、今はこれが唯一私が夜出かける機会である。

 


私は昔から変な所を拘る習慣があって自分のペースを乱される事が苦手だ。決められた事を永遠と繰り返す方が楽なので、変化のない毎日を送っている。例えば私の出勤時間は8時なのにバス通勤の時に朝必ず5時半のバス(始発)に乗るのも私の根拠のない拘りの一つだと思う。別にその次のバスに乗っても始業時間には十二分に間に合うが、それを変えることが出来ないのだ。そういったわけで私の日常はなんの面白みもない。

 


若い頃は海外での生活に憧れて夢を描いていた。楽しくて刺激があり充実した毎日が続くと信じていた。でも現実とはこんなものである。海外でも日本でもどんな生活になるかはその人次第なのだと思う。

ネットでの情報収集 - 豪州で絶対はない

私が大昔留学を決めた頃にはそれほど発達していなかったネットの世界だけど、ここ15年くらいはネットでの情報収集が当たり前になっている。日本語の物だけを見ても企業や業者(エージェントなど)や個人のブログなど沢山ある。情報は個人の体験を元にしているものから、動向を分析した物、また役立つ情報として書かれているものまで色々ある。時には相反する情報もあってどちらが本当なのか迷ってしまう事もあるだろう。そこで必要なのは大量にある情報の中でどれが真実で正しいかどうかを見極める読み手のスキルだが、全く行ったことのない国の情報を精査するのは簡単ではない。

 

 

私は豪州のワーホリや留学、または永住について書いてある様々なブログや記事を読んできた。別に自分が何か情報を得ようという訳ではなく、他の人がどのように考え豪州でどんな経験をしているのかという事に興味があるからだ。もちろん読んでいて事実や自分の経験とは違うなと思うものもあれば、自分もそうだったと共感するもある。ネットに書く内容は人それぞれで、斡旋エージェントなどの記事は当然その会社のサービスに繋がるような事が書いてある。当エージェントに依頼すれば必ずインターンシップが保証されていますというのもその一つで、私は実際に依頼した事はないけど私が見聞きする中ではその限りではないのも知っている。

 

私はどのブログや情報を発信しているサイトを個別に批判したりするつもりも立場でもないが、時々この記事を信じて渡航して後悔しなければ良いなと思うような内容のものを目にする。個人のブログなどで自分はこういう経験をしたからこうした方が良いというアドレス的な事が書かれている場合は良い。ただ自分がそうだったから絶対にそうだとか一部の情報だけを切り取って結論づけてしまうような内容には少々危険だなと感じる。

 

例えば永住権の取得を視野に入れて就労ビザを取得する際に、(現在は)ビザのスポンサーとなってくれる企業が必要である。そして一般的にこのスポンサーを見つけるのは難関と言われていて、必ず誰しもが現在持っているビザの有効期限内にスポンサー企業を見つけて就労ビザが取得できるという保証はない。それは例えどんなに綿密に計画して準備をしたとしてもである。それなのに英語が少々できなくても大量に応募する事で確実にスポンサーを得られると、自分の経験たった一つから結論づけたとしたらどうだろうか?その人はそれで実際にスポンサーを得た訳でそれは嘘ではないだろう。ただその一方でその通りにしてどんなに頑張っても仕事が見つからず諦めざる得なかった人がいるのも事実である。自分とその周囲の人の経験や一部の情報だけから確実にそうなるという結論に至るのは些か乱暴ではないだろうか?

 

特にブログなどは副収入のためにビジネスでやっている人もいるので、タイトルも内容もインパクトのあるものにしたいというのはわかる。でももしその「必ず」とか「絶対」と書いてある内容を誰かが信じて豪州に渡航して、結果上手くいかなかった人が出たらどうするのだろうか?ネットの情報をどう捉えるかは読み手の責任であるとは思うが、道理的にはどうなのだろうと疑問を感じる。私は特にこの類の書き込みは慎重に判断しなければならないと思う。

 

もう一つネットの情報で注意すべきなのはそれがいつ書かれたかである。かつて紙媒体が主体だった頃はそれがいつ発行されたものかを見つけるのはそれほど難しくなかったが、ネットだとわかりにくいものもある。また検索サイトで検索して上位に上がってきたサイトでも、実は数年前に書かれたもので情報が古く現在と違う事もある。特に豪州ではビザに関するルールは頻繁に変わるので気をつけなければいけない。もしネットで最新の正確な情報を知りたいのなら、移民局や大使館などのページに行く事が最善だろう。もしそれ以外で探すなら必ず複数のサイトやブログを見て情報の信憑性と正確性を確かめる必要があると思う。

 

豪州での仕事探しやビザに関する記事でもので絶対にそうだと断言しているものは注意してほしい。

 

(この記事も私の個人的な意見なので、正しいかどうかはそれぞれで判断いただきたい。)

退職そして帰国に向けての話し合いが修羅場に!

私は数週間前に豪州での仕事を辞めて日本に帰国しようと決めて色々動き始めていた。ビザの申請は相変わらず動きがなく、今後豪州に住みたいかと言われると正直言って住み続ける意味がないという結論に至った。お金をかけてビザ申請をしてくれた会社には申し訳ないがもう永住権なんてどうでも良いとも思った。自分の中でそういう結論に至ったのには複数の理由があるが、仕事についていけないというのが大きな理由だった。自分の無能さがどんどん明らかになり周囲に醜態を晒していくのが我慢できず、もう辞めようと決めた。会社の経営も厳しいと聞いていたしいっそのこと人事整理で解雇にならないかとまで考えた。

 

私の意向を会社に正式に伝える前に上司の反応を探った。退職したいという言葉を用いずに私の業務パフォーマンスについて詰問をしたのだ。もう相手に失礼だとかそういう事は気にしなかった。仕事を辞めようと決めたらそれに向けて突き進むだけである。引っ越しの事、銀行や保険などの整理の手順についても調べた。日本の友人や家族にも連絡した。退職の手紙も用意して具体的な退職日と帰国日以外はあっさりと決まり準備リストができた。というのも日本に帰ろうと思ったのはこれが初めてではなくてある程度何をどうするかという手順は日頃から考えているからである。こちらには別に友人もいないし(私は変わっているぢ英語も出来ないから)、職場の一部の人以外は誰も私がいなくなっても気づかないだろうし、豪州を引き上げるのは意外と簡単な事である。

 

上司との話の後私は人事課も含めて正式に私の退職について話し合う時間を取ってもらった。人事マネージャーは私のビザ申請で奔走してくれた方で申し訳ないという気持ちもあった。人事が二人と上司と私の4人での話し合いになった。まず辞める理由を聞かれる。感情的にならないようにと自分なりにまとめていた簡潔な物を読み上げた。仕事上での色々な問題点をあげて私を雇うより新しい人を探した方がいいと思う、だから辞めますと公言した。すると私が不要な人材であるかどうかは会社が判断する事で私がそれを言うことは冒涜であると怒鳴られた。その点については確かに上司の言う事が正しいと思ったので謝ったが、もうどうでもよくなり私はとにかく辞めるからもういいでしょ?と言い返して退職の手紙を渡そうとそれを手にした。

 

ずっと無言のままの人事課二人とまだ怒りの鎮まらない上司はさらに畳み掛けるように私を追い込んでいった。恐怖で黙っている私を見て言った。その手紙を渡して私が辞めるのは会社としては引き止める事はない。でも私のしている事は間違っていると。私は上司がそのように言う理由も知っていたし上司も私がそれを理解している事も承知していたと思う。退職の話が出たのはこれが初めてではなかったしお互いの言い分が平行線のままで、でも私は今まで結局最後に説得されるという感じだった。今回は脅しでもなんでもない、もう絶対に押し切られないと心に決めていた。

 

会話に間が空くようになる。恐怖ではあったが決意は変わらない事を自分の中で確認して、もう後戻りは出来ないしとにかく豪州から消えて日本に帰国したいと繰り返して主張した。それ以上は何も言えなかった。そしてその後長い沈黙になった。するとこれまでただ私を見ていた人事の一人(上司の奥さんでもある)が口を開いた。

 

それを境に話が私の個人的な事情の事になっていく。上司がまだ怒りに満ちていたのは明らかだったが、口調は穏やかになっていった。上司が人事マネージャーに意見を促すとようやく重い口を開いた。二人とも上司の意見に賛成して、でも辞めるかどうかは法律的に労働者の自由だから私が決めるべきだとした。でも結局のところ上司は私の退職の手紙を受け取るきはなかった。私も最後の一押しが出来ずそのまま手紙を引っ込めた。事務的に退職届けを出して数分で終わるはずだった話し合いは一時間以上に及び私の残ったのはますます居づらくなった職場での仕事だけだった。

 

私はその日の夜その三人にメールを送った。話し合いが長引き時間を使わせてしまった事を謝りその他の事はゆっくり一人で考えたいと書いた。そしてこの際だからと私がこれまで上司には黙っていた職場での問題を明らかにした。実を言うとこれが私が仕事を辞める本当の理由であり、それは最後まで言わずにおこうと思っていた事だった。翌日の朝、上司が私のところに来て話がしたいと言われた。会話は終始穏やかで前日のような修羅場もなかった。そして私がメールで明かした職場での問題を初めて知った上司はその対策を取ると約束した。そしてビザの結果が出るまではとりあえずこのまま職場に残ると言う事でお互い合意した。ビザの結果は遅かれ早かれそのうち分かることなのでそれなら良いかと思った。

 

今回はただの退職騒動になってしまった。でもいつか辞めるにしろ辞めないにしろ決着が着く日が来る。そう信じて淡々と仕事をこなす。

 

 

私と永住権申請の経緯と懸念点 3

続き

 

こう言った背景があり私は永住権に向けてがむしゃらに頑張るという事はない。永住権取得に向けて念入りな準備を重ねたり、中には自分の興味のない職種の職場でで奴隷のように扱われながら永住権まで我慢して漕ぎ着けるという人もいるだろう。私もかつて永住権にこだわっていたので理解はできるしそういう人を尊敬もする。決して間違ってはいないし人それぞれの道なので私が意見する事もない。ただ一方で懸念点も感じるのも事実である。婚姻などでパートナービザからの永住権の場合や仕事をしなくても生活できる資産や収入源のある場合は別として移民が豪州で自分の希望する仕事を得る事は簡単ではない事が多い。


例えば、永住権の為に調理の専門学校に行きあまり興味のないシェフになり就労ビザを経て永住権を取得したとしよう。決してシェフという職種を否定しているのではなく一般的に調理系が一番簡単に永住権に繋がると言われているので例に上げた。永住権が取得出来たら転職(オフィス系の仕事など)しようと計画する。就労ビザの英語の基準レベルは現時点でIELTS 5以上、永住権では6となっていてギリギリでクリア出来たと仮定する。数年後晴れて永住権が取れてのちにオフィス系の仕事を探すがまずこのレベルの英語力では英語環境の現地企業での就職は厳しく、そもそも豪州では豪州での職歴が重視されるので未経験の職種は難易度が高い。もちろん中には転職に成功する人もいるだろうが全員が希望の仕事に就けるわけではない。ちなみに飲食系の業種は平均年収は低めである。給料の良い職場を求めても豪州の平均から見ると、決して高くはないので給料だけで裕福で優雅な生活を送るのは難しいだろう。


もう一つの懸念は移民の法律がコロコロ変わるという事である。せっかく永住権の為に専門学校に通っても在学中にビザのルールが変わってその職種が就労ビザのリストから外れたり、現実的ではない条件が付く事もある。もちろん学校で学んだ内容が自分の興味のある分野であれば例え永住権が取れなくてもお金と時間の無駄にはならない。でももし永住権の為だけに通ったのならそれまでの苦労は何もならなくなってしまう。よくエージェントなどの広告でチャイルドケアや看護士なら将来永住権が取れますのような物を見かける。でも実際チャイルドケアではまず就労ビザを得る事すら厳しくなっていて諦めて帰国した話も沢山ある。看護士はもう少し専門性も高いがこちらは英語力なども含めて申請は簡単ではない様子。そういう現実を知らないまま永住権の為に渡豪してしまうとこんなはずではなかったという事態になりかねない。


豪州でも年々永住権取得は難しくなっている。移民の増加や失業率の高さなどから門が狭まっているのは確かだ。それでも永住権を視野に入れて渡豪する事は決して無駄ではない。ただその過程で自分で良く状況を見極めて納得した上で行動に移して欲しいと願う。

 

私と永住権申請の経緯と懸念点 2

続き

 

私のケースは特殊な為特別な移民弁護士への依頼が必要になってくる。この時点で過去に相談した事のあった弁護士がおりその人に依頼した。心の何処かで引き受けを拒否して欲しいという思いもあったが、数日後正式な契約が交わされたと知った。私のビザの為に大きなお金が動いてしまったのには恐怖すら覚えた。そこから私は心を入れ替えて自分がどう考えようが言われた物はきちんと提出して申請準備がスムーズに行くように協力した。会社側が準備に手間取り申請期限ギリギリで書類を提出してその後はブリッジングビザでの豪州滞在となっている。(現在進行形)

 

長い沈黙の後突然移民弁護士から一通のメールが届いた。会社がスポンサーとして承認されて雇用主指名の手続きが完了したというのだ。実は会社側も今回の永住権のスポンサーの条件を微妙に満たしてはおらず、あとで必ず移民局から追加資料などの要求が来ると移民弁護士は言っていた。申請時になぜ条件が満たせなかったかという理由を含めた情状酌量を訴える手紙は添付したらしいが、そういう手紙が受理されたケースはなかったので(つまりその時点で永住権却下)、今回も絶対に厳しい状況に置かれることを想定していた。ところが何の追加資料の提出も質問すらなくいきなり承認されたのは奇跡的であり、弁護士が一番驚いていた。同業者の中でもこれが初めてのケースらしかった。 喜ぶ弁護士と会社を他所に私は戸惑いを隠せなかた。かなりの温度差があるのは誰もがわかったであろう。確かに永住権に向けて前進した事は嬉しくないわけではなかったが、申請が進んでしまい、次は私自身の審査になったのが怖かった。今現在でまだここは処理中なので永住権却下になるかどうかはわからない。弁護士からは次のステップに向けての概要を聞いたがとても複雑そうで全くどうなるのか見当がつかない。