日本とオーストラリアの狭間で

昭和生まれ奇想天外な私のこれまでの歩み。社会脱落者としてこれからどうする?40歳目前独女の独り言。

回想: 私と英語 2

前回の続きです。

 

私が短大の英語研修旅行で100%英語ネイティブ環境に置かれてもストレスを感じなかったのには理由があった。(私が英語が出来たからと言う訳ではない。)その理由こそ私が留学を決意するきっかけである。

 

高校卒業の少し前くらいからある米軍基地内のファーストフード店ででバイトを始めていた。まぁ時給はかなり安かったけど、お金をもらって英語の勉強にもなると思えばそれ程悪くないと思っていた。同僚は日本人が多かったけどお客さんは基本的に全員ネイティブだしもちろん店の公用語は英語だった。更に全英語で行われる衛生講習会に出たり、シフトマネージャーになってからは指示も基本的に英語で出来なければならず、簡単なトラブルの対応とかレジに入る事も多く、日頃から英語環境に身を置くことに慣れていた訳だ。

 

短大卒業後暫くして同じ基地内でガソリンスタンドの接客の仕事についた。そこでは車の修理やレンタカーの貸出しなども行なっていて使う英単語の種類や複雑さはファーストフードの時とは全く違った。初めは電話対応に相当苦戦して、特に車の知識のない私が英語でアメリカ人に車の修理の内容を説明するのはかなりハードルが高かった。ガソリンスタンドではマネージャー意外全員日本人の同僚だったけど店内には常に英語のラジオがかかっていたし接客ももちろん100%英語だったのでここでも英語にどっぷり浸かる日々を過ごしていた。

 

一般的に米軍基地に働きに来ている日本人は英語学習に興味があるか留学やワーホリ経験のある人が多かった。もちろんそうでない人もいたけど周囲の日本人から留学や海外生活などの話はよく聞いていたので、自然と自分もいつか行きたいと具体的に考えるようになっていった。これがオーストラリア(豪州)留学のきっかけだった。初めは期間や予算も考えて語学留学を希望していたけど、ある人にせっかく海外に行くなら英語で何か勉強すべきと言われて考えを変えた。

 

私の留学先の候補は当然北米だったけど、当時コースや予算の関係でアメリカとカナダは断念せざる得なかった。イギリスも留学費用が高いし、しかもイギリス英語は絶対に無理だと思いすぐに候補から外れた。結局残ったのは訛りの強い英語を話すと言う噂のニュージーランドやオーストラリア(豪州)のみになった。でも同僚の中に豪州にワーホリをしていた人が複数人いてその人たちは口を揃えて訛りはそこまで酷くないし豪州は良いところだよと聞かされる。最終的に私は豪州のパースに語学学校+一年の専門学校(TAFE)に留学することになった。