日本とオーストラリアの狭間で

昭和生まれ奇想天外な私のこれまでの歩み。社会脱落者としてこれからどうする?40歳目前独女の独り言。

私と永住権申請の経緯と懸念点 1

以前にも書いたが私はダメ元で豪州の永住権を申請中である。理由は健康上の問題とその他色々あって普通の人なら取得可能なケースでも私の場合は絶対にビザは却下される。それなのにどうして高い費用をかけて申請に至ったかという経緯の詳細はとりあえず置いておくが滞在延長目的ではない。10年以上前、私は一度技術系の独立ビザで永住権の申請をした事があった。当時はまだ20代中頃だったのもあり永住権を取る事に無我夢中だった。最終段階で取れないと分かった時の失望は大きかった。私にとって永住権は豪州滞在のゴールであり終着点であった。

 

日本に帰国後人生でドン底の時期を経て徐々に安定した生活を得た。帰国中は在宅勤務の仕事しかしなかったが、日本での生活は楽しかった。数年後それまで働いていた会社が私の就労ビザの取得に成功して豪州に戻る事になった。その時は喜ばしい気持ちと日本を離れたくない思いの狭間に揺れていた。豪州に戻ってからも永住権の申請は一切考えず数年後には日本に帰国する前提での滞在だった。過去の失敗には二度と触れられたくないと強く思っていた。それでもだんだん生活の基盤が豪州に移っていく事に行き場のない焦りを感じていた。永住権が取れる可能性のない私が豪州に長くいればいるほど私の日本での社会復帰は難しくなるのが現実である事は理解していた。周囲にも猛反対され豪州の知り合いにも永住権が無理ならさっさと日本に帰った方が良いと言われていた。どっち付かず一番良くない状況のまま年月だけが過ぎていった。

 

永住権の話を始めたのは雇用主側だった。もし私がこの先豪州の会社で仕事を続けるのであればこのまま就労ビザを取り続けるのは現実的ではない事は誰が見ても明らかだった。私には仕事以外に特に豪州に滞在し続けたい理由は見つからなかった。たしかに生活は豪州が中心ではあるけど歳を重ねる毎に日本の生活に戻りたい気持ちは大きくなっていく。しかも取れない永住権を申請する意味はないしお金と労力の無駄にしか思えなかった。それでも仕事の為になら豪州に残る道を探しても良いという気持ちがあり何となく永住権に向けての下調べを開始した。

 

百歩綴って私が過去の失敗は忘れて再び永住権挑戦を考えるとしよう。私の最大の懸念は金銭面での負担だった。永住権申請費用はかなり高くその費用は雇用主が負担することになるのだ。大会社であればその程度の出費は安いかもしれないが私が働く会社にとってはそうではない。取れなければ会社の労力を無駄にする事にもなるので私はかなり躊躇していた。数週間くらい会社と私は別々に考える時間を取り社内会議にもかけてもらったが、結論は永住権に挑戦してみるというものだった。私は永住権失敗の段階で会社を辞める事を条件に同意した。

 

それからも優柔不断な私の葛藤は続いた。社内でも時間が経ってから急に反対する管理職の人も出てきて遠回しに私に辞退するように言ってきた。更に社員の一部も会社が私のビザのサポートをする事を知り(金銭的な面から)不公平だという不満も出た。そういう色々な事を受けて社内で揉め事を起こしたくない私は永住権申請を取り辞めて今すぐ辞職そして帰国する決意を固めた。初めは私も断った話である、退職の旨の手紙を書いた上で取締役でもある上司に話した。ところが上層部の意思は固く私の永住権申請がたとえお金の無駄になっても社員から反対者が出ても同意した通りに申請に向けて準備を進めるという返答だった。そんな押し問答が続いた後で私は話し合いに期待せず黙って帰国準備を始めた。片道の航空券を予約して帰国日を報告した。その時は流石に上司の怒りを買い怒鳴られた。もちろん辞めるのは私の自由だが。。。それで本当に良いのか問いただされた。その時は恐怖感からおし黙っていたがそれでも私の決意は固かった。

 

少し日にちが経ってから再び上司との話し合いが持たれた。もう時間も限られていたのでここで双方が納得する結論を出さなければいけなかった。私は私の為にとか同情の気持ちで永住権のスポンサーになるのなら断固拒否するが、もし明確なビジネスケースが確立しているのであれば反対は出来ないという話をした。またもし取得を考えるならば仕事のためだけであって私は個人的には永住権にこだわっていない事も伝えた。ここまで来たら申請をして却下されて帰国する他ないと思った。会社側はそれに合意して申請に至った。たとえダメ元でもやるなら正しく出来る範囲の事をしよう。私も腹をくくった。ここまで2年近くの歳月が経っていた。

豪州での医療 私の体験 3

手術が決まった後私は検索魔と化す。理由はもちろん自分の受ける手術について知りたいというのもあるけどネックは英語。英語がわからない分色々読んだりして流れなどを理解しておきたかったのだ。これで知らない医療用語なども多少はカバー出来るし英語環境での手術のハードルを下げられた。日本語と英語の両方で調べると同じ手術でも随分過程が違う。日本のが良かったと思う部分と豪州の方が良いかもと思う部分と両方あった。本音を言うと私は日本で手術を受けたかったけど、調べるうちに豪州でも大丈夫と思えるようになってきた。

 

手術前、私はストレスから来ているであろう胃腸の問題を引きずり軽い風邪のようなものを引いてしまった。胃腸は過去にも同じような経験をしていて時期が来ないと治らないのでこちらは騙しながら様子見にしていた。問題は喉風邪の方だった。咳が出ていたらしたら手術が延期になる可能性もある。とにかく家にあった薬を駆使して喉を死守することに全力を注いだ。咳はほとんど出ていなかったけど咳止めとトローチ、鼻炎に進むのを防ぐために鼻腔スプレーを使った。前日は人目も憚らずマスクをして会社に行った。以前にもしていった事はあったのでそこまで驚かれなかったが、こちらではマスクをしていると重病に思われるらしい。胃腸は相変わらずだったが嘔吐や下痢という訳ではないので諦めて放置した。

 


手術当日、1時半に病院に行く。私が今回行ったのは小さなPrivateの病院で受付を済ませて更に手術の受付に進んだ。ここまでは家の奥さんに付き添ってもらい、受付後から一人になった。待合に座って数分後、私は看護師に呼ばれた。そこで血圧や酸素を測ったりして問診的なものを受けた。私が今まで唯一アレルギーのあった薬があったのだけど、とても特殊な薬剤で英語名は知らない。念のためと言われて再びグーグルのお世話になり英語表記のものを探してそれを書類に記入していた。リストバンドをつけられてそのまま待機室に行った。そこでは着ているものを全て脱いで手術用のガウンを着てベッドで待つように指示される。私の場合待ち時間が長い事は知らされていたので、横になったり、携帯をいじったり、テレビを見ながら時間を潰した。途中カーテンの向こうの会話が聞こえてきてそれはなぜか私を安心させた。

 


予定時間になっても呼ばれなかった。5時を少し過ぎた頃ようやく専門医が入ってきた。手術の概要の説明と同意書にサインをする。簡単で標準的な手術だからなにも心配いらないからねと言うような事を言われて会話は終わる。しばらくして今度は麻酔科医がやって来て血管に針を入れて準備する。いよいよ来たかと思った。麻酔医は私の血管が細いので通常使う手の裏の血管は諦めていた。それは私も予想していたので私が血液検査などでも唯一使える腕の血管を教えてそこに針を刺す。血液検査は日本で定期的に行っているし、しかも採血量の多い私は針を刺されたままというのに慣れている。麻酔科医は雑談を交えながらその血管に針を入れていった。数々の注射針の後を見て、この血管は可哀想だけど頑張っているのねと言いながらあっさり処置が終わった。その時に挿管の話もされる。全身麻酔中は挿管をするので喉を見せて欲しいと言われた。ネットでも挿管について読んだけど、もし挿管中に意識があれば相当不快感があるという。挿管中は私の意識がない事を願うしかなかった。

 

 

その後直ぐに手術室に向かう。日本だと普通に歩いて手術室に入っていきドラマのようではなかったという感想をよく見るけどここではベッドに寝たままの移動、つまりドラマのような光景だった。天井しか見えなかったので手術エリアがどういう構造かは分からなかったが、少し進んで一つの手術室に着いた。上には手術用のライトもあって何人もの人が室内にいた。そのベッドから手術台に上がりガウンの後ろの紐を解くように言われる。ガウンはかけたまま酸素濃度を測る装置を指に、心電図を取るようなものも装着された。吐き気どめの薬を入れるとも言っていたような気がする。酸素マスクをして普通に息をするように言われる。怖いという恐怖感を感じていたら酸素マスクを取り別のマスクを押し当てられる。そして腕の血管に何かが入っていくような気がして、少し咳き込んで苦しいと思ったところで意識がなくなった。

次に気がついたのは手術室ではなくてリカバリールーム(回復室)のようだった。挿管も既になく腹部に多少の痛みがあったが、とにかく身体が動かず眠たいというだけだった。声を掛けられて質問に答える。痛み止めは要らないけどお腹を温める物を持ってきてもらい、そのまま休む。その後意識がもう少し回復すると別の場所に移されて、そこで少しして着替えるように言われた。ベッドから立とうとするとまだふらふらする。ようやく着替えると車椅子で次の部屋へと進む。そこには椅子が置いてあり、サンドイッチと紅茶が出された。時間は7時少し前。気がつけば絶飲食で朝の7時前から何も食べていなかった、が相変わらず胃腸の問題があり食べる気はしない。でも食べないと何か詰問されそうでなんとか半分くらい押し込んだ。そこに専門医がやってきた。手術は上手くいった事と腫瘤は思ったより小さかったという事を聞いた。数週間後に再び予約をして細胞検査の結果を聞く事になった。

 


ちなみに、豪州のPrivateの病院では全身麻酔手術後に飲み物とサンドイッチが出るというのは有名な話である。日本人の感覚だと絶食後にいきなりこれはと思うがこちらでは標準のようだ。私が手術の順番を待っている時に絶食ですごくお腹が空いているという会話を何度か聞いた。私も看護師に聞かれたけどそもそも胃腸の調子が悪かったしむしろ絶食は好都合だったので、全然お腹は空いていないというと驚かれた。サンドイッチを半分食べたところでお迎えが来た。病院側が連絡してくれたようだ。もちろん迎えが来なければ病院から出ることも出来ない。私はまだ手術が終わったという実感もなく家に帰った。

 


今回私が手術を受けた病院は数年前に前面改装されていて設備も新しかった。電気はおそらく全てLEDでモニターやその他の機器も新しい感じだった。当然日本の病院でもこのくらいは標準装備かもしれないけど、私が通っている日本の古い公立病院に比べると雲泥の差があった。日本のような病院独特の雰囲気は少なく受付にもソファーがありリラックスした感じだった。私は今回あくまでもPrivateの病院での手術だったけど、スタッフも親切でこれなら豪州で受けても良かったと思えた。病院によってまた状況によっても変わってくると思うが豪州の医療も日本と同じように信頼できるという結論に私は至った。

 

 

豪州での医療 私の体験 2

豪州には大きく分けてPublic(公立)とPrivate(私立)病院がある。Publicの病院はメディケア加入者なら基本的に無料で診療が受けられるがその分人も多く待ち時間が長かったりという難点もある。Privateの病院はメディケアではカバーされず、自分でPrivateの医療保険に入る事が前提になる。もちろん実費でも行けないことはないだろうが手術などとなればかなり高額になると思われる。そしてSpecialistと呼ばれる専門医は拠点の診療オフィスがあって、その他にPublicとPrivate両方の病院に登録されてたりする。特に都市部では多くの病院があり人それぞれどこが良いという意見は別れる。私の場合はメディケアには加入していないけど、ビザの規約でPrivateの医療保険には入っていたため融通の効きやすいPrivateの病院を選んだ。周囲の豪州人もほぼみんなPrivateが使えるならそれで良いと言っていた。ただ今までGP以外ではこの保険を一度も使った事がなかったので一体何がカバーされるのか知らず保険会社に確認したのは恥ずかしい経験だった。

 

 

Private保険には色々なプランがありexcessという実費で払う額が決まっている。excessがない場合もあるようだが聞いたところによると200ー300ドルくらいが多いらしい。GPに行くと通常はメディケアでカバーされるためこのPrivateの保険は使えないが私の保険ではGP診療で一度に35ドルまではカバーされる特殊なものだ。ちなみにGPの基本診療料は多分1番短い診察で40ドル弱だけど、この他にout of pocketと言われる差額を支払わなければいけない場合がほとんどである。私のGPは安い方で一度に70ドル程度だが場所によると120ー140ドルとか、日本語診療所に行くともっと高いらしい。通常留学やワーホリの人は海外旅行保険に加入しているので病院代はどこに行ってもほぼ100%カバーされるので高くても安くても関係ないが、私のように海外旅行保険にもメディケアにも入れない中途半端な場合は注意が必要である。私の保険では300ドルexcessが決められている。今回は病院に300ドル、医師に200ドルのexcessを支払った。決して少額ではないけれど、腫瘤を放っておく訳にはいかないのでこの程度の出費は納得している。

 


基本的には移民も多いので豪州の病院は英語が出来ない人にも比較的優しい。ただ出来ないと行っても相手の基本的な指示や基本的な医療用語はわからないと厳しいかもしれない。英語に自信のない場合は通訳をつける事も可能らしい。私の場合はそこまでは要らないかなと思ったので自力で対応したけどもし周囲に豪州人の知り合いや頼れる人がいなければかなり不安だっただろうと思う。なんでも相談できる人、知り合いの看護師や近しい人がいたからこそなんでも質問できて豪州での手術に踏み切れた部分は大きいと思う。医療水準は日本と同じくらいでも制度や考え方が大きく違って私はいちいちそういうことを不安に思うので周囲の人には感謝しきりである。

 


二度目のエコー検査のあと再びGPに行ってSpecialistと言われる専門医への紹介をお願いした時、どの専門医(私の場合はGynecologist
と言われる婦人科の医師)が良いかと聞かれた。どこの病院が良いかではなく誰が良いかと聞いてきたのだ。一応人から聞いていたドクターの名前はあったけど、いまいちわからないというと専門医の名前をいくつかリストアップしてくれた。私の場合追加情報が必要でその場ではreferral(紹介状)を書いてもらわなかったので家に帰ってネットで一人づつ調べた。保険会社のホームページでもその医師に対して私の加入しているPrivate保険が使えるかを確認する。専門医の紹介文で特にどんな症例に興味があり得意かなどを見てとある中東系出身の医師に決めた。このSpecialistの診察ではやるべき事はただ一つ、腫瘤の除去だったので手術の話はあっさり決まった。多忙そうだったけどネットでの評判の通り丁寧で親切な印象だった。遂に手術の日程が決められた。

 


私の手術はHysteroscopy D&Cというもので手術は日帰りだけど全身麻酔を要した。日本だと子宮鏡の手術にあたると思う。日本では通常1日から場合によっては2日の入院となっている事が多いようだが豪州では基本的に軽手術の場合は全身麻酔でも術後患者を家に帰すので日帰りのようだ。ただし予め帰宅時に迎えに来る人を登録してその人に患者を引き渡すという決まりがある。その後も24時間は誰かの監視下になくてはならないなど条件はある。通常は家族の誰かだが、家族なんていない私は一緒に住んでいる家の奥さんが迎えに来てくれる事になった。本当にこういう存在は有難いと心から思う。

豪州での医療 私の体験 1

数年前日本での定期検査で子宮内に腫瘤が見つかりまぁ良性だろうという事でそのまま帰国時に経過観察を続けていた。ところが最近になりその腫瘤に変化があり日本ではフォローしきれないうちに豪州に戻る事になってしまった。医療関係は全て日本でやると長年貫いてきたがここに来てそういう訳にもいかず豪州で対処する次第になった。しかも就労ビザの私は豪州の国民保険的なメディケアというのには入る事が出来ないため治療費は実費になる。幸いお金じゃなんとかなるしまぁこの際そんな事は言ってられないので今回豪州で手術を受けるという運びになった。

 

 

まず私が困ったのは英語と豪州の医療制度だった。そもそも日本語でもよく分からない医療用語を英語で説明したり聞いたりするのは英語力の乏しい私にとってはとても大変。何度もグーグルのお世話になりながら何とか手術まで漕ぎ着けたのだ。もう一つの課題であった豪州の医療制度についてはもう豪州の友人に片っ端から聞きまくっていった。呆れられても納得できるまで色々な人に話してそれぞれの経験なども聞いて段々様子が掴めてきた。キーワードはGP, Specialist, Public and Private Hospitalだった。

 


豪州では基本的に何でもまずGP(かかりつけ医)に行って相談してそこから全てが始まるとの事だった。私は少なくともかかりつけのGPはあったのでそこだけは難なくクリアした。調べた単語を駆使してGPに私の事情を説明すると、豪州での子宮内の腫瘤に対しての対応を教えてくれた。ここでは日本のように経過観察はせずに全部取ってそれを細胞検査良性か悪性かを判断するとの事だった。私の場合は経過観察になっていた理由もわかるけど、状況も変わって細胞検査をしてはっきりさせたい日本でも思っていたのでこの考え方には賛同できた。ただそれを豪州で行うという点を除いては。。。

 

 

日本からは検査結果などほぼ何貰えていなかったのでここでもまずエコー検査からのスタートだった。GPに近所のエコー検査所のreferral(紹介状)を書いてもらって予約した。一度目の結果は不明瞭という事で月経の終わるのを待って二度目のエコーを受けるように言われた。ただ一度目の検査技師が別の検査所である医師と一緒にもう一度診たいという話だった。その検査技師がその検査所で働いている日は限られていて、予約が一杯でも昼休みにでも必ず診るからそう言って予約を取ってねと言われた。とても気にかけて親切なのは感謝したがそんな規格外の予約を取るのは労力がいるなとその時点で思った。案の定予約の電話をすると受付の女性は私に対してはじめ相当不信感を持って対応してきた。結局相手が一度目の結果を確認して本当にそのような意図が書いてあるのを見て何とか二度目の予約を取った。

 

 

こう言う対応は基本的に全て電話になる。もっとも電話で使うような英語は決まっているが、それでも電話をする前に二度考えてしまう。もちろん聞き取れなければアウトだし電話での交渉は特に難易度が高いと感じる。二度目のエコーではその検査技師と一緒にいた医師は私の腫瘤を見るなりなんでそんなに長い事放置してたの?あり得ない、早くbiopsy、細胞検査を受けなさいと言わた。私も確かにそう思ってわざわざ豪州でフォローする事に決意したのだけど、はっきり言われるとショックは大きかった。結果のレポートはその医師の名前で悪性の可能性が高いと書いてあった。まぁ日本でも豪州に戻る直前にはそんな可能性もとは言われていたので驚きはしなかった。

私の体験した英会話スクールの勧誘

私は小学校高学年から10年以上大手の英会話スクールに通っていた。子供教室から始まって高校生から一般のクラスになった。初めはホームティーチャーの開催する小規模教室に通い、高校卒業時に本校に移った。高校までは完全月謝制で料金もかなり良心的だったと思う。本校に通うようになってからは一括払いで授業料も急に高くなった記憶がある。もっとも契約にサインしたりお金を出してくれたのは親だったのでは詳細は覚えていない。

 


英会話に通っていたので自然と英語好きになっていった私は短大の頃は他の英会話スクールにも興味があった。結局長年通っていた英会話教室を離れる勇気がなく体験授業にも行ったことはなかったが人から評判を聞いたり、授業がどんな感じなのかという話は時々聞いていた。当時はネットがそこまで発達していなかったので直接教室を訪ねないで資料を貰うことは容易ではなかった。さらにもし資料請求したら勧誘されるかなという不安もあって自ら行動を起こす事もなかった。

 


それでも覚えているだけで二度しつこい勧誘にあった。しかもまだ若かった私にはそんな勧誘に対応する事も出来なかった。一度は東京のどこかの本屋で声をかけられて、もう一度は元バイト先の先輩がとある英会話スクールのカウンセラーをしていたので試しに訪ねてみた時だった。両方共私は友達についていったら結果的にしつこい勧誘にあったというのが本音だが、自分も少なからず興味のあるような事を言ったのでそうなったのには自分にも責任があると思っている。

 


本屋で声をかけられたのは短大の友人とアメリカ旅行計画の為に旅行会社に行った帰りだった。結局この旅行は実現しなかったが、二人とも英語に興味があり声をかけられてもっと話を聞きたいとあっさりついて行った。勧誘は最低でも2時間以上に及んだと思う。初めは英語を習得してどうしたいかという将来の目標から始まって、そしてスクールの勧誘になっていった。あまりにも強引だったため私も友人もこれは危ないと思ったが、勧誘員の数が増えて全く太刀打ち出来なくなっていた。友人がお金がないからと言えばローンを組めるなどと言って断る理由を見つけさせなかった。


私は当時既に別の英会話スクールに行っていて、スクールを変える気はないし米軍基地内でバイトをしているので日常で英語に触れる機会は多いから二つの英会話スクールに通う必要も意味もないというような事を主張して最終的に相手も引き下がった。こういうパターンは珍しかったろうからそれに対応するマニュアルがなかったのだろう。さっさとその場から立ち去りたかったが、隣で友人がまだ強引な勧誘にあっていた。というより私を諦めたことで彼女への勧誘が一層激しくなり契約を迫られていた。結局彼女も何とか契約をせずに逃れたが、外に出ると既に暗くなっていた。

 


以後私は勧誘には最新の注意を払っていた。ところが今度は自分の通っていた英会話スクールで勧誘というかしつこいセールストークを受ける事になった。私は学生を終えて仕事が忙しかったのでフリータイムレッスンに切り替えた。回数制なので相手は出来るだけ多くの回数を申し込んでもらいたい訳だ。私は週に複数回も通えないというと相手は2コマ連続で取れば良いとしつこい。しかも私は半年後くらいに留学に行く可能性が高いとはっきり言ったのにも関わらずだ。この時は別の顔見知りのカウンセラー(つまり受付にいるセールスの人)が助け舟を出してくれて私は余分な回数を申し込む事はなかった。ただこの人は子供教室からやっている子だからまぁセールスは程々にしておこうという感じだったので、もし私が子供教室から通っていなかったら押し通されたのかなと思うと恐怖しか覚えなかった。(この英会話スクールでは子供教室から通っているとわかると何故か丁重に扱われる傾向にあった。)


結果的に私は本当にその後数ヶ月で豪州に留学してしまったので、最低の回数すら消化しきれなかった。毎日来たら良いと言われても、そもそも私のレベルのレッスンは数も少なく時間帯も選べず物理的に困難だったため残りは友人に無償で譲渡してしまった。あの時押されて倍の回数を申し込んでいたらと思うとゾッとする。

 


英語を習いたい、英会話を上達させたいという純粋な想いに漬け込み、高額なレッスンや教材を強引に売りつけるのは許せないと思う。もちろんレッスンや教材がきちんとしていて英語が上達すればまだ良い。でも自分には合わないとか聞いた話と違う、自分のレベルのレッスンの開催が極端に少ない(特に上級クラス)などというのであればただ大金を失うだけである。私は元バイト先の先輩から私はその英会話スクールで一年間100万円くらいするコースを取れば最上級クラスまで行けると言われた。でも私はそのお金で豪州の専門学校に通った。今考えても、感情に流されてあの英会話スクールに行かなくて良かったと思う。


英会話スクールに大金をはたく事は必ずしも間違えとは言い切れない。しかし強引な勧誘やセールスには絶対に注意してほしい。

 

 

豪州の夏時間

豪州では国土が東西に広がっているため、アメリカなどと同様に国内でも場所によってタイムゾーン(時間帯)が異なっている。主要都市の集まる東海岸はEastern Standard timeで西海岸地域のWestern Standard timeとは2ー3時間の時差がある。この中間に中央部地域ではCentral StandardとEastern Standardがあり時差はEastern Standard timeとは30分である。東海岸の時間の方が早く西に行くほど後ろにずれていく。ちなみに島や小さな地域などを入れるともっと多くの異なる時間が存在する。

 

さらに豪州の東海岸側にあるいくつかの州ではDaylight Saving (サマータイム)を採用していて、夏季は通常の時間より1時間早い夏時間になる。Daylight Savingが始まるのは10月最初の日曜日で4月最初の日曜日に再び標準時間に戻る。つまり10月には時計を1時間早め、4月に1時間遅らせるのだ。(時間が変わるのは確か午前2時だったと思うが定かではない。)まれにDaylight Savingに気づかず遅刻する人もいるけどほぼ混乱もなくスムーズに時間の移行が行われる。近年では携帯や電子機器は自動的に時間を調節してくれるので時間を合わせる手間も少ないが、昔は目覚ましも含めて家中の時計の時間を合わせなければいけなかったので大変だったらしい。

 

私ももちろん豪州滞在中に何度もDaylight Savingは経験している。でも実はここ何年も4月と10月の初旬には必ず日本に帰国中だったので豪州では時間が変わる日を迎えることはなかった。今年はたまたま帰国時期がズレたので久しぶりに朝起きたら時間が1時間変わっているといいのを体験する事になる。ただ諸事情により私は日本帰国中も豪州の時間を基準に使っているので、日本の時間との時差を計算する上でこのDaylight Savingが開始、終了する日は豪州にいる時と同じように注意している。

 

Daylight Savingの利点は夏場は夜9時くらいまでまだ明るい事だろうか。導入当初は陽のあるうちに行動する事によりエネルギーを節約するという意図だったらしいが、現在では夕方から夜まで明るいので、その時間帯に外で活動できて時間を有効に使えるというのが中心になっている気がする。日本でも一時期サマータイムが検討されたようだがどうなるのだろうか?豪州の東海岸地域でDaylight Savingが導入されたのも1970年代だったそうで、その時を経験した人の中には最初はかなり混乱したと話す人もいる。

 

Daylight Savingの間は是非夕方から夜にかけての時間を有意義に使いたいものである。

 

豪州人との関わり方と人種差別

豪州は移民の国と呼ばれるほど世界中からの移民が集まっている国。先住民族(アボリジニ)、白人系以外の移民が急激に増えている近年、街を歩けばここは本当に豪州かなと疑うほど他国からの移民が多い地域も存在する。例えば中国系の人が多い場所では中国系の店が立ち並び店の看板も聞こえてくるのも中国語、一瞬自分がどこの国にいるのかわからなくなってしまいそうである。一方で郊外や田舎に行くと移民がほとんどいない地域もある。

 

そんな豪州においても人種差別は少なからずある事は認めなければならない。ワーホリや留学生でも酷い差別を経験すしたという人もいれば全く差別とは無縁で豪州人に囲まれて楽しく生活をしてきたという人もいる。表面上は人種差別はタブーとされているが、中には過去の白豪主義がそのまま残っていて外国人に対して差別意識を持つ人たちもいるのもまた事実である。特に移民とは一切個人的な付き合いを持ちたくないという人も少なからず居て、そう言った人に出会ってしまったら明らかに冷たい態度を取られたり時には見下した対応をされる。ただしそこまで強硬な人はほんの一握りで全体的な傾向とは言えない。

 

豪州人には差別まで行かなくても移民をよく思わない人も多い。豪州が外国から押し寄せる移民によって乗っ取られてしまうという懸念を持っているからだ。現にビジネスの世界では豪州の地元企業は海外企業の進出などで苦戦を強いられている経緯もあり、移民に対して危機感を持つ人は少なくなかった。また豪州の文化が外国から来た文化や価値観に押しやられていると感じている人もいる。もっとも白人系の豪州人と先住民族の間にも歴史的に似たような問題があるので一概には言えないだろうが、こういった移民排除の動きは移民局のビザの発給にも大きく影響している。

 

豪州での日常生活において日本人が人種差別を受けるかという点については、あり得るという回答が一番近い気がする。もっとも日本人というよりアジア人としてである。豪州人の中には特定のアジアの人種を嫌う傾向の人たちもいて、容姿の似たアジア人は全員その特定の人種だと思われる事もしばしばある。私は実際に会ったことはないが、日本人差別としてよく聞くのが生卵を投げつけられるというものだ。豪州の若者たちの間では日本人に卵をぶつけると幸運になるとかいう都市伝説のような話が広がっているらしい。あとは毎年4月にある戦争の記念日に日本人が外を歩くと石を投げられるので外出は避けるべきというのがよく日本人の間で言われていた。戦争の歴史の中で日本が豪州を攻撃した事実があり、そのために反日感情を持つという人も少数だが存在するからだ。ただ特に近年ではそう言った風潮は薄れてきている。

 

私は外国人だからという見えない差別は受けた事があるが、特に日本人だから嫌な思いをするという事はなかった。むしろ最初はアジア人として軽蔑した対応をされても、日本人だと分かると急に日本語を習った事があるとか、友達が日本に旅行に行ったなどと友好的に話しかけてくるという事が多かった。最後まで日本人だとわからない場合でもこちらが笑顔で普通に対応し続ければ、相手の態度も次第に柔和してくる。大切なのは英語が上手く話せるかどうかは別にして、豪州人の相手にも臆する事なく、相手を尊敬しているという態度を見せつつ対等な立場で取り合う事だと思う。

 

私がこれまで感じたのは、白人系の豪州人は自分たちの仲間意識(メイトシップ)が強いという事。そしてその仲間とは助け合うがそれ以外の人たちはあまり興味がない。だからこちらから相手に興味を持って話しかけて仲間に入ろうとしない限り、向こうから来る事はほとんどない。その代わり一度自分たちの仲間と認められれば差別どころか向こうから話しかけてきたり、ご飯に誘われたりする。そうなると相手もこちら側に興味を持ってくれるようになり良い友人関係を築ける。

 

豪州で人種差別に合うかどうかは正直運もあるかもしれない。でも一方的なものはともかく、差別的な態度を取られたと感じても、意外とこちらの対応次第で相手が変わる事が多いと私は感じてきた。この事から私は現代の豪州での人種差別の根はそこまで深くなく、こちらが豪州人の相手を理解し尊重ている事をきちんと示せば軽蔑や差別的な態度は薄らいでいく。豪州に来る時には是非英語も含めてこの国の文化や価値観を知ってから来て欲しいと思う。