日本とオーストラリアの狭間で

昭和生まれ奇想天外な私のこれまでの歩み。社会脱落者としてこれからどうする?40歳目前独女の独り言。

回想: 私と英語 1


私が初めて英語に興味を持ったのは小学校の中学年の頃だった。当時は小学生高学年から英語の塾に行くのが少しづつ広まってきており、学校でも時々外国人の先生による英語の授業が始まった。いわゆる小学校での英語教育のはしりである。

 

小学校5年生の後半から近所の小さい英会話教室に通い始めた。大手の英会話スクールのジュニア向けの個人教室で先生は日本人、同級生のお母さんだった。触れ込み通りクラスは楽しくてどんどん英語が好きになっていった。中学では教室を変えてそのまま同じ系列の教室に通った。英会話といっても中学ではきちんと基礎文法なども学び、当時のクラスは本当に楽しいの一言だった。英語が楽しくて好きになるという英会話スクールの策略にまんまとはまった訳だ。中学卒業時でジュニア教室も終了となる。

 

その後高校でも再び教室を変えて英会話は続けた。私の高校は全体的に授業のレベルも低かったから英語系の科目はほぼ勉強しなくても高得点が取れる感じだった。英語部という不思議な部活にも入って3年生になると部活動の内容や日時をネイティブの先生と一人で交渉する場面も出てくようになる。英会話教室は先生は良い人だったのだけどクラスの雰囲気が真面目すぎてはっきり言ってそれまでよりは楽しいとは思わなくなった。でもこの頃になると周囲に左右されず英語の勉強に集中出来るようになってきたので教室を変えずに高校卒業まで通い続けた。

 

高校卒業時にそれまで通っていた英会話教室が閉鎖になる事になったので、私は本校に転校した。テストを受けてみると年齢の割に比較的上のクラスにぶち込まれてた為、周囲はほとんど社会人で授業がわからないのではなく会話の話題についていけなかった。翌年も再びレベルを飛ばしてついにネイティブの先生のクラスになった。まだ学生だった私にはディスカッションの内容が難しくクラスではおし黙るようになった。英語は好きだけどクラスは嫌い。そんな感じだったと思う。

 

私の卒業した短大はビジネス系だったけど履修出来る英語系の授業は全て取り、アメリカでの10日間の英語の研修にも参加した。私にとって初めての海外である。ホームステイをしたり英語の授業に参加したりしながらアメリカの文化に触れた。ここではっきり私の中で英語=アメリカ(カナダ)=海外=私の憧れる生活、という図式が出来ていく。研修中ネイティブに囲まれた環境でも日常の基本的な英語ではそこまで戸惑う事もなくただ楽しい思い出だけが残った。

 

研修旅行後もオーストラリアに留学するまで少しの間英会話教室は続けた。この時は流行りのフリーレッスンなども受けてみたけど、仕事との両立も難しく足が遠のくようになっていた。