日本とオーストラリアの狭間で

昭和生まれ奇想天外な私のこれまでの歩み。社会脱落者としてこれからどうする?40歳目前独女の独り言。

私と永住権申請の経緯と懸念点 1

以前にも書いたが私はダメ元で豪州の永住権を申請中である。理由は健康上の問題とその他色々あって普通の人なら取得可能なケースでも私の場合は絶対にビザは却下される。それなのにどうして高い費用をかけて申請に至ったかという経緯の詳細はとりあえず置いておくが滞在延長目的ではない。10年以上前、私は一度技術系の独立ビザで永住権の申請をした事があった。当時はまだ20代中頃だったのもあり永住権を取る事に無我夢中だった。最終段階で取れないと分かった時の失望は大きかった。私にとって永住権は豪州滞在のゴールであり終着点であった。

 

日本に帰国後人生でドン底の時期を経て徐々に安定した生活を得た。帰国中は在宅勤務の仕事しかしなかったが、日本での生活は楽しかった。数年後それまで働いていた会社が私の就労ビザの取得に成功して豪州に戻る事になった。その時は喜ばしい気持ちと日本を離れたくない思いの狭間に揺れていた。豪州に戻ってからも永住権の申請は一切考えず数年後には日本に帰国する前提での滞在だった。過去の失敗には二度と触れられたくないと強く思っていた。それでもだんだん生活の基盤が豪州に移っていく事に行き場のない焦りを感じていた。永住権が取れる可能性のない私が豪州に長くいればいるほど私の日本での社会復帰は難しくなるのが現実である事は理解していた。周囲にも猛反対され豪州の知り合いにも永住権が無理ならさっさと日本に帰った方が良いと言われていた。どっち付かず一番良くない状況のまま年月だけが過ぎていった。

 

永住権の話を始めたのは雇用主側だった。もし私がこの先豪州の会社で仕事を続けるのであればこのまま就労ビザを取り続けるのは現実的ではない事は誰が見ても明らかだった。私には仕事以外に特に豪州に滞在し続けたい理由は見つからなかった。たしかに生活は豪州が中心ではあるけど歳を重ねる毎に日本の生活に戻りたい気持ちは大きくなっていく。しかも取れない永住権を申請する意味はないしお金と労力の無駄にしか思えなかった。それでも仕事の為になら豪州に残る道を探しても良いという気持ちがあり何となく永住権に向けての下調べを開始した。

 

百歩綴って私が過去の失敗は忘れて再び永住権挑戦を考えるとしよう。私の最大の懸念は金銭面での負担だった。永住権申請費用はかなり高くその費用は雇用主が負担することになるのだ。大会社であればその程度の出費は安いかもしれないが私が働く会社にとってはそうではない。取れなければ会社の労力を無駄にする事にもなるので私はかなり躊躇していた。数週間くらい会社と私は別々に考える時間を取り社内会議にもかけてもらったが、結論は永住権に挑戦してみるというものだった。私は永住権失敗の段階で会社を辞める事を条件に同意した。

 

それからも優柔不断な私の葛藤は続いた。社内でも時間が経ってから急に反対する管理職の人も出てきて遠回しに私に辞退するように言ってきた。更に社員の一部も会社が私のビザのサポートをする事を知り(金銭的な面から)不公平だという不満も出た。そういう色々な事を受けて社内で揉め事を起こしたくない私は永住権申請を取り辞めて今すぐ辞職そして帰国する決意を固めた。初めは私も断った話である、退職の旨の手紙を書いた上で取締役でもある上司に話した。ところが上層部の意思は固く私の永住権申請がたとえお金の無駄になっても社員から反対者が出ても同意した通りに申請に向けて準備を進めるという返答だった。そんな押し問答が続いた後で私は話し合いに期待せず黙って帰国準備を始めた。片道の航空券を予約して帰国日を報告した。その時は流石に上司の怒りを買い怒鳴られた。もちろん辞めるのは私の自由だが。。。それで本当に良いのか問いただされた。その時は恐怖感からおし黙っていたがそれでも私の決意は固かった。

 

少し日にちが経ってから再び上司との話し合いが持たれた。もう時間も限られていたのでここで双方が納得する結論を出さなければいけなかった。私は私の為にとか同情の気持ちで永住権のスポンサーになるのなら断固拒否するが、もし明確なビジネスケースが確立しているのであれば反対は出来ないという話をした。またもし取得を考えるならば仕事のためだけであって私は個人的には永住権にこだわっていない事も伝えた。ここまで来たら申請をして却下されて帰国する他ないと思った。会社側はそれに合意して申請に至った。たとえダメ元でもやるなら正しく出来る範囲の事をしよう。私も腹をくくった。ここまで2年近くの歳月が経っていた。